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福岡高等裁判所 昭和35年(う)1185号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月に処する。

訴訟費用(原審の分)は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、記録に編綴してある弁護人猿渡脩蔵提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する判断はつぎのとおりである。記録を精査すると、原判決が、元入金の点に関する証人堀甚蔵、同堀愛子および被告人の各供述を措信できないものとし、被告人の検察官に対する昭和三十一年六月六日付供述調書によれば開業当初(昭和二十八年五月頃)の取引は月数十万円の程度で、これから順次月を追うて取引が拡大したものであることが明らかであるとして、開業当初における元入金は合計七、五〇〇、〇〇〇円であつたとする被告人の主張を排斥したのは相当とすべきである。しかし、当該年度(昭和二十九年度)期首における手持現金の点について、原判決が証人甲斐千尋、同和佐野幸太郎、同溝口充、同堀愛子の各供述を、銀行と当座勘定取引をしておりながら被告人の主張するような多額の現金を手許におくということは通常の経済人のなさないところであり、また右各証人と被告人との身分的、社会経済的関係および被告人の本件発覚後の行動からみても、容易に措信しえないものがあるとし、他にこれを証明すべき資料はないとして、同期首(従つて期末も)における手持現金の保有を黙殺したのは、いささか早急にすぎるうらみがある。なるほど、原判決が判示事実全般、同事実中逋脱額に関する部分を除くその余の事実の証拠として挙示するものにより認められるように、裁告人ははじめから所得税を免れようと企てて、当該年度中の取引その他の証憑書類を焼却して正規に記帳整理していないので、手持現金の点についてもこれを証明すべき適確な資料がないので、当該年度の期首に被告人はその主張する二、八〇〇、〇〇〇円の手持現金を保有していたものとは到底確定することはできないが、同期首に被告人が幾許かの手持現金を保有していたであろうことは、原判決も認めているところであり、前掲証拠によると、昭和二十八年五月頃開業以来被告人の取引のほとんど全部が駐留米軍クラブ相手に洋食器、雑貨等の販売をなしていたものであつて、しかも朝鮮動乱に関連したものであるから、その取引は浮動的かつ突発的のものであつたうえに、被告人はこれまでこの種の取引をした実績がなく、仕入先にも信用が乏しかつたのであるから、常時相当多額の現金を手許におく必要に迫られており、その額も時期により相当大幅に増減していたことが認められるのであるから、その額が正確に確定されないからといつて、同期首(従つて期末も)における手持現金の保有を黙殺することは、条理を逸するものとしなければならない。また、同期首における売掛金の点についても、原判決がいうように、証人堀愛子、同和佐野幸太郎の供述は、被告人との身分的関係からして措信し難いとしても、証人西岡寬次の供述は、同人は当該年度当初当時富士銀行の預金係長をしていたものであり、その供述内容をみても措信できないものではなく、ただその内容が漠然としておつて、これを裏付ける適確な資料が前認定のように焼却されているのであるから、右供述によつて同期首に被告人が主張する一四、〇〇〇、〇〇〇円ないし一五、〇〇〇、〇〇〇円の売掛金が存在していたものと速断することはできないとしても、同期首に幾許かの売掛金それも相当多額のものが存在していたことを窺わせるに足るものがあり、前認定のように、当該年度の前後を通じて継続して取引がなされ、しかもその取引が浮動的かつ突発的のものであつたことをあわせ考量すると、同期首に相当額の売掛金が存在していたものとするのが相当である。従つて、原判決が同期首に幾許かの売掛金が存在したことは当然に考えられるところであるが、その額を正確に確定することは不可能であり、その額はたいした程度ではないとして、期首期末とも売掛金を計上せず、相当の損益不突合金額を負債に計上することをもつて充分であるとするのは、いささか条理を逸して推計をなすものといわねばならない。しかし、だからといつて、所論指摘の昭和三十三年七月十四日付控訴人米沢牧衛代理人提出の準備書面に添付の計算書を拠りどころとして、同期首における売掛金を所論主張のように、一七、九五四、三五五円と推計することは、当審における証人米沢牧衛の供述に徴しても、その根拠がいかにも薄弱であつて到底首肯することができない。結局、同期首に相当額の売掛金はあつたが、その額は正確に確定することができないものというのほかはない。

かように、同期首にその額は正確に確定されないが相当額の売掛金が存在したものとすれば、前認定のように被告人は少額の元入金で開業したことではあり、右売掛金はその前後にわたり増減はあつたとしても毎月繰越されていたものと推認すべきであるから、そうだとすれば被告人はかならずや資金に不足を来していたものとも推認しなければならない。しかし、だからといつて、借入金の点に関する証人堀甚蔵、同堀愛子、同石井五百代および被告人の各供述は、容易に措信し難い節があり、他にこれを肯認させるに足る資料はないのであるから、被告人主張の時期にその主張の債権者からその主張の金額を借入れたものとは到底首肯することができず、この点においても、被告人は相当額の借入はしたが、その時期、債権者、金額のいずれも正確に確定することができないものというのほかはない。かように、当該年度期首における手持現金、売掛金および借入金の点について、その金額は正確に確定することはできないが、相当額のものがあつたことを推認しうる事情があり、しかもそのことは当該年度における所得金額を算定するについて重要な要素をなすものであるから、原判決が、これらの金額が正確に確定されないからといつて、すべてこれを黙殺し、当該年度における所得金額を一六、二三八、二二八円これに対する所得税額を九、八二七、三九〇円と算定したのは、その説示するところを検討しても多分に推計の域を出ないものであり、しかもその推計は条理を逸脱するものといわねばならない。しかし、前認定のように、被告人ははじめから取引の証憑書類を焼却して販売収入を正規に記帳整理せず、また架空名義の預金口座を設けて預金するなどしてその収益を秘匿し、所得税を免れようと企てていたものであり、原判決が挙示する証拠とくに預金関係のものをあわせ考量すると、その額こそ正確に確定することはできないとしても、当該年度の所得金額は被告人が確定申告をした八八二、〇〇〇円(これに対する所得税額は二五五、四四〇円)を超越するものであつたことを容易に肯認することができる。従つて、被告人に所得税逋脱の罪責があることは勿論であるが、原判決が当該年度の真実の所得金額を一六、二三八、二二八円、所得税額を九、八二七、三九〇円と認定したのは、事実の誤認を犯したものであつてその誤認は判決に影響を及ぼすべきことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は結局理由がある。よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条、第四〇〇条但書に則り、原判決を破棄してさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二十八年五月頃から福岡市中間町に営業所を置き、博多貿易商会および博多クラブサービスを個人経営し、韓国駐留米軍向け洋食器、雑貨等の販売をなしていたものであるが、昭和二十九年分の所得税を免れようと企て、同年中の取引の証憑書類を焼却して販売収入を正規に記帳整理せず、東京銀行福岡支店に金子次郎なる架空人名義の預金口座を設けて預金するなどしてその収益を秘匿し、同年分の所得金額は八八二、〇〇〇円(これに対する所得税額は二五五、四四〇円)をこえていたにかかわらず、昭和三十年三月一日昭和二十九年分の所得金額、所得税額をそれぞれ右の額である旨の虚偽の所得税確定申告書を所轄博多税務署長宛提出し、もつて不正の行為により所得税を免れたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の右所為は所得税法第六九条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、被告人を主文第二項掲記の刑に処することとし、訴訟費用(原審の分)の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用する。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青木亮忠 裁判官 木下春雄 内田八朔)

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